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ニホンカワウソの生態!絶滅した原因は?人間に追いやられた?生存や目撃情報!

あまり身近にいるイメージが無い生き物ですし、直接触れ合ったことがないという人がほとんどのカワウソを、皆さんは知っていますか?かつては日本にも沢山、身近に生息していたんです。最近はその可愛らしさが注目されています。愛媛県の県獣であり、また、SNSではゆるキャラの「ちぃたん☆」が注目を集めたり、「可愛い嘘のカワウソ」のイラストが人気を博し、どちらもグッズが発売されるほどになっています。実は、私たちの身近に生きていた「ニホンカワウソ」。しかし、今ではその姿を見ることが叶わなくなってしまいました。どうしていなくなってしまったのでしょうか。それでは、彼らが絶滅してしまった理由を解き明かしていきましょう。

生態

全長は長く、頭がノペーと平たい

少し昔、日本には4種類も生息しており、まさにカワウソ大国だったそうです。その証拠なのか、河童という想像上の生き物は、人間のように魚を捕食するカワウソの姿をもとに考えられました。カワウソは周囲を見渡すために、よく後ろ足2本で立ち上がることがあります。立ち上がったら身長は100cmくらいで、頭の形もノペーとしていて平なので昔の人にとってはお皿を乗せているかのように見えました。他にも、「人を騙すカワウソ」の民話があります。「化かされて、一晩中山を歩かされた」とか「風呂を沸かしてくれたので入ってみると、温かいお湯ではなくて枯葉があった」などです。昔の人は、人を騙してしまう恐ろしい動物と考えていました。そのためか、「川」にいる「恐」ろしい動物という意味が訛って、「カワウソ」と呼ばれるようになったのが、その名前の由来です。場所によっては、「オソ」と呼ぶこともあります。他にも、芸術作品の題材として、様々な有名人の手によって描かれました。例えば、狩野探幽の「獺図」、それから川端龍子の「獺祭」が挙げられます。また、「物忘れがひどい動物だ」というアイヌの言い伝えがあるそうですから、日本国内でもかなり広く分布していたということが分かります。このように言い伝えや作品が残っているぐらいですから、日本全国でよほど身近な生き物でした。

尻尾の方から見た

英語ではJapanese River Otterで、漢字では日本川獺と書きます。イタチ科でユーラシアカワウソの亜種です。ニホンカワウソは水辺に生息し、水の中にいる生き物を捕食していましたが、生まれつき泳ぎが達者という訳ではありませんでした。生きていくために、親が子に泳ぎを教えていました。単独行動だけでなく、家族のような団体で行動する個体もいいました。何だか想像すると可愛らしいですね。さて、こんなに可愛らしいニホンカワウソですが、実は水辺の生態系の頂点に君臨している「川の王者」とも呼ばれていました。イタチ科の動物と言えば、基本的に強いです。彼らの天敵といえばワニやシャチ、それから狼が挙げられます。しかし、あなたのまわりにある身近な河川を想像してみてください。日本の河川には、このような天敵たちの姿は見当たりませんよね。ですから、本来、カワウソたちはこの国で豊かに暮らせていたはずだったのです。

生息地

ニホンカワウソは、北は北海道から南は九州まで日本全国の河川の中~下流域、砂浜、磯など沿岸部に棲息していました。

Storm on cape Muroto, Kochi prefecture, Japan. 出典:123rf

基本的には夜行性です。昼間全く行動しないという訳ではありませんが、明るい時間帯はほとんど「泊まり場」という所で休んでいました。この「泊まり場」というのは、生活拠点です。岸辺の近くや大きな木の根本、割れた岩の間などの場所に、3~4カ所ほど持っていました。というのも、実はとても大食いで広範囲の餌場が必要なのです。

大きさ

ニホンカワウソは成長して大きくなると、体長は80cm前後、尻尾は55cmほど、体重は10kg前後となります。88鍵盤の電子キーボードが1.4mほどの幅なので、尻尾も含めるとそれと同じくらいの長さです。二足で立つと身長が1mほどになります。ユーラシアカワウソと同じ大きさです。

餌。

1日に1kgもの食料が必要で、多くの餌を食べるため、自然と行動範囲も広くなりました。その行動範囲の広さは、およそ10平方キロメートルでした。

yokohama, japan.Otter eating in the hand of a woman staff of the Fureai Lagoon of the amusement park Yokohama Hakkeijima Sea Paradise. 出典:123rf

ちなみに、ニホンカワウソは魚類、甲殻類、カエルなどを食べます。中でも好物と言われているのは、アユやウナギでした。昔は日本の河川ならどこでもいた魚たちです。陸に上がってネズミなどの小動物を食べることもあります。

寿命

ユーラシアカワウソの寿命は13年前後です。飼育下では26歳まで生きたという記録もあります。ニホンカワウソも同じくらいで平均寿命は15年前後でした。

絶滅の原因!

標本

では、「川の王者」とも言われるニホンカワウソが、姿を消していった背景を紐解いていきましょう。そのためには、人間がどのように関わってきたかを辿る必要があります。

原因①重宝された獺肝(たっかん)を入手するため乱獲された。

さて、ニホンカワウソは、日本人にとって身近な存在でした。その歴史は、太古の昔にまで遡ることができます。縄文時代の貝塚などからその骨が発見されています。比較的、様々な遺跡から発見されました。そして、平安時代の「延喜式」にもカワウソについての記述が残されています。どうやら、それから作られた薬が天皇に献上されていたようです。さらには、室町時代には塩辛にされ、食料として食べられれていたという記録もありました。さらに、明治以降の近代には、「肝は、結核や眼病の薬になるのだ」という噂のもと、乱獲されることが増えました。結核といえば、明治時代から昭和20年代まで、日本の死亡原因のトップであり、「死の病」と恐れられてきました。そんな結核に効くという話が耳に入れば、手に入れたいという人は多かったことでしょう。そのため、明治時代以降、乱獲されて生息数が減少し、絶滅へと向かいました。

原因②工業化や宅地開発など、追い求める豊かさと引き換えに、追いやられた。

明治以降といえば、殖産興業を育成という方針のもと、欧米諸国に追いつけ追い越せと近代化が推し進められた時代でもあります。産業が花開く一方で、工業化による水質汚染のため次第に草木は枯れ、川の水は濁っていきました。

from the boiler room tube goes white steam, smoke into the sky. heating in winter. industrial zone in the Russian city. Cityscape by the river. 出典:123rf

明治13年ごろには足尾銅山の公害問題が発生しました。また、明治の終わり頃には重化学工業化が進んでいきました。急速に発展した産業による自然環境の破壊と荒廃は明らかです。人間たちは、このおかげでどんどん豊かになっていきました。人間たちの暮らしが豊かになる一方で、ニホンカワウソたちの住む水辺はどんどん汚染されていったのでした。この環境汚染こそが、絶滅の危機に追い込まれたニホンカワウソにとって、最後の一撃となったのです。戦後も同様に、日本経済の再興のために産業が活気を取り戻します。

Large tracked excavator digging and cleaning channel at the coast. 出典:123rf

高度経済成長期には、あちこちでしのぎを削るかのように高いビルが建築され、宅地開発され、水辺も埋め立てられていきました。そして昭和53年(1979年)、高知県須崎市に流れる新荘川で発見されたのを最後に、ニホンカワウソは姿を消してしまいました。そして、ついに平成24年(2012年)、環境省によりニホンカワウソは「絶滅した種」と宣言されたのです。

人が生き物を追いやるということ。

ニホンカワウソが日本で生きるぶんには、目立った天敵もいない「川の王者」でした。食べ物を探すために広い範囲を走り回り、疲れた時には泊まり場でゆっくりと寛ぐという豊かな暮らしを営めたはずでした。

横顔

しかし、そんなニホンカワウソを追いやったのは人間による、自然をかえりみない身勝手な行いです。生物の絶滅は、恐竜のように気候変動により自然の中で発生してしまったものも存在します。本来は自然とともに、その生き物のあるべき姿で、ゆっくりと進化と滅亡を繰り返していくものです。しかし、人間が地球上に現れ、豊かさを求めて行動をした結果、本来あるべき自然のスピードを大きく上回った絶滅が引き起こされていきました。自然的に発生するものでない、人為的な行為で、地球の生き物の再編成が進んでいるということです。どのくらいの変化がもたらされたか、比べてみましょう。恐竜たちが生きていた時代では、1000年に1種の絶滅がありましたが、1975年~2000年までの間には年間平均4万種となっています。13分に1種、地球上のどこかで生き物が絶滅しているということです。その現状は、今も変わりません。私たちがのうのうと生きている今も、世界中で多くの生き物たちには絶滅という影が忍び寄っているのです。多様な生物たちが、長い時間をかけて形作ってきた絶妙な自然界のバランスは、人間のせいで、回復不可能になってしまいました。

生存している?目撃情報!

最近になってニホンカワウソが生存しており、発見して目撃したという情報もあります。

愛媛県の宇和島

ニホンカワウソは愛媛県の県獣です。宇和島市の九島で日本で最後に目撃されました。

Uwajima, Japan.View of Uwajima bay from Uwajima castle. 出典:123rf

宇和島の人たちはまだどこかに生存していると信じています。

長崎県の対馬や五島列島

2017年、対馬の林の中に琉球大学動物生態学研究室が設置したカメラにカワウソが生存している姿が映っていました。その後、DNAの調査により、大陸から渡ってきたユーラシアカワウソだと判明しました。対馬だったら、大陸の韓国から泳いで渡ってこれそうです。五島列島の高齢者の方々も、「昔、ワシが若いころには、ニホンカワウソを見たり、鳴き声を聞いたりした」と語っています。基本的に大陸に近い離島での生存情報や目撃情報が多いです。

高知県の大月町や四万十川

高知県大月町の海岸で調査を続ける「Japan Otter Club」という団体が過去4年間に収集した「生息の証拠」を専門家が分析したところ、それはニホンカワウソが生息している確率が高いとされました。証拠の中には「獺祭(だっさい)」と呼ばれる、捕獲した獲物を綺麗に並べるカワウソの習性が発見された、というものもありました。高知県では四万十川流域でも目撃情報が多いです。

The Clear Stream of the Shimanto River. 出典:123rf

ただ、環境省は、糞や毛などを証拠としては認めず、確実な映像しか生息の根拠として認めない方針です。四万十川流域ではツチノコの生存の噂もあります。

まとめ

かつて、ニホンカワウソは人間たちの生活の中の一部でした。時に食べ物となり、薬となり、人間たちを支える動物の一種でした。ところが、次第に人間はそれがもたらしてくれる利益ばかりに目が眩み、彼らの生きる世界をおざなりにしてしまいました。人間たちの愚かな行いのせいにより、絶滅宣言までされました。彼らは、姿を見せないだけで今もどこかで生き続けているのかもしれません。再びニホンカワウソたちが私たち人間の前に現れるのが、いつになるかは見当もつきません。しかし、その日が早くやってくるように、私たちは自らの行いを振り返る必要があるでしょう。地球という共同体で生きる種のひとつとして、共に生きる生物のために何ができるのか、考え、実践していく必要があるでしょう。

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