子供の頃、家にセキセイインコがいました。最初は青いオスと緑のメスだけで、手乗りではなかったものの、次第に人間とコミュニケーションするようになり、卵を産んで子育てをして、孫の世代まで続きました。2世と3世は初めから人間と暮らしていたので、よく馴れてくれて、飼い主もセキセイインコの気持ちをより理解できるようになりました。途中から家にはペットとしてブンチョウも加わり、その行動パターンから鳥の種類によって考えていることやその表現方法などが違うことも分かりました。ブンチョウと比較して、セキセイインコは呼びかける対象が多く、そのためか鳴き声の種類も多いです。それだけでなく、全身を使ってジェスチャーで意思表示をすることも分かりました。また、よく知られているように人の言葉を真似して喋ることもできますが、それが全く意味を知らずに真似ているとは限らないらしいと分かりました。ここでは、いくつかの状況に分け、セキセイインコのコミュニケーションについて紹介します。
セキセイインコの鳴き声の意味をご紹介

ひとりごとや、仲間や他のペットの鳥に対して、人間に対しての鳴き声と意味を紹介していきます。
ひとりごとを喋っているよう?

インコ系の鳥は時間があれば常にひとりごとのように何かを喋っているようです。そして、その鳴き声の中には人間の言葉の一部のフレーズが混ざっていることが多くあります。
他の小鳥は美味しそうなおやつなどの餌を沢山もらっているのに、自分はもらっていないと、飼い主に文句を喋ってコミュニケーションをとっているように聞こえます。きっと、人間から覚えたもののほかにも野鳥の声や、もしかすると機械音なども交えて、頭の中で世界観をめぐらしながらそれを声に出して喋るのが好きなのだと思います。オスの場合は歌を歌いますが、これは習性としてメスに格好をつけるためのものなので、ひとりごととは別のものです。家にいたあるセキセイインコは、「ぴーちゃん」と呼ばれていました。はたして小鳥に名前という概念があるか分かりませんが、少なくともいつも人間からそう呼ばれていると、その言葉が人間に関連するという認識ができていました。ある日、そのセキセイインコはひとりごとを続けるうちにだんだん「ぴーちゃん」の頻度が多くなり、最後には「ぴーちゃん、ぴーちゃん」と繰り返し喋りながら眠ってしまいました。世界観をめぐらせるうちに、最後には平穏な身のまわりに意識が向き、安心感を得たということです。機械音ではありませんが、モールス符号も真似するのではないかと思い、試したことがあります。「オハヨウ」に相当する「--・ --」ですが、これもひとりごとの中に組み込まれました。セキセイインコにとっては、自分の名前と同様に身近な情景を思い起こすフレーズでした。また、これとは別に、何か行動する前に景気づけというか気合いを入れるというような気持ちで一言「チィ」ということがあります。特に飛び立つ瞬間にこの声を発することが多いですが、これに似た飛ぶ瞬間の一言というのはスズメなどの野鳥にもみられます。空中での衝突を避けるためのマナーとして、種々の鳥同士の間の共通の合図というコミュニケーションです。
仲間の呼び鳴きは?野鳥に対しては?

野鳥を見ていると、小型の鳥も大型の鳥も、仲間の鳥に呼びかける際にはその距離に応じて、姿が見えないほど遠くにいる仲間には高くて大きくて長い鳴き声、近くの仲間にはその逆というルールがあります。このことは同じ種類の鳥同士だけでなく異種の鳥に対する場合にも共通した意味を持っています。鳥によっては同種以外にはめったに話しかけないようですが、セキセイインコの場合は異種に対して友好的なので、スズメ、ムクドリ、ヒヨドリなど、遠くに野鳥の声が聞こえると、何でもまずは呼びかけます。セキセイインコの場合は長い声を発するということはなく、大きくて高い2声を発します。
これは野鳥に対しても同種に対しても同じですが、野鳥の場合はそれに答えるということはあまりなく、いつも無視されてしまいます。野鳥からすればセキセイインコの甲高い鳴き声が騒音にしか聞こえてないのか、それとも呼びかけられているのが分かっているのに、それに答える義理はないという気持ちのか分からないのですが、そこは、種類によって違います。
他のペットの鳥に対しては?

前述のとおり、セキセイインコは他の種類に対しても友好的に接します。家には一時期、ブンチョウもいたことがありますが、ブンチョウは一般にこのような性格ではなく、野鳥に対して話しかけるという行為も見られません。家の中で同時にかごから出すと、セキセイインコがブンチョウに迫ることになります。
これは、ブンチョウをいじめようとするのではなく、友達になりたいという意味で近づこうとしているのです。事情があって、短い時間ですがひとつのかごの中にセキセイインコと桜文鳥を入れたことがあるのですが、そのオスのセキセイインコは得意の歌をさえずりながら止まり木の上を一歩ずつブンチョウに近づいていくのでした。しかしブンチョウは元来、セキセイインコとは逆で他の種類と仲良くしようという気持ちはなく、しかもプライドが高いです。また、美的感覚で考えても、くちばしと脚と目の周りだけがピンクでその他はほぼ白黒系で構成されているのがおしゃれと思っている桜文鳥にとって、黄色や緑、頭には縞模様、首にいくつも黒丸があって、羽にはうろこのようなものもあり、尻尾が異常に長い、しかも自分よりひとまわり大きいというかぶき者が近づいてくることには恐怖感もあります。そのうえ、ブンチョウにとって、歌はだいたい5秒から10秒で1曲が終わるものであり、歌い終わったあとすぐにまた歌うということはマナーに反するものであるのに、セキセイインコの歌はエンドレスで終わりがありません。姿だけでなく歌い方も大変に下品に思えたに違いありません。ブンチョウはかごの隅まで追いつめられると、最後には「フッ、フッ」とくちばしの先端を突き出して威嚇を始めました。単に怖いだけで危険を感じたならすぐに逃げるはずなのですが、プライドが高いブンチョウは下品に見えるセキセイインコの姿と行動を許すことができず、一言文句を言ってやりたかったのです。セキセイインコはその気持ちなど察することもなく相変わらず歌を歌いながら接近を続けます。そして最後にはブンチョウの鋭角のくちばしが届く距離になると、鼻のあたりを突かれてしまい、「ギャー」といって止まり木から落ちてしまうのでした。 このように、他の飼い鳥が家の中にいる場合、セキセイインコにとっては他の鳥と友達になりたいという気持ちが強いのですが、少なくともその相手がブンチョウであると気持ちは伝わらないのです。ただし、もしお互いがヒナの時から一緒に育ったとしたら、なついて兄弟のように思うようになります。
また、もしブンチョウのヒナがセキセイインコに育てられたとしたら(その逆は起きにくいという気がしますが。)、ブンチョウは怖がらず、仲良くできます。
人間に対しては?

以前、「浦島太郎」の話をするセキセイインコをテレビで見たことがあります。個体差が大きいようで、世の中には人間の言葉をたくさん覚えているセキセイインコもいる一方で、そのようなセキセイインコが家にいたことはありませんし、特にたくさんの言葉を覚えさせようとしたこともありません。もちろん「浦島太郎」の話をするセキセイインコは物語の内容を理解しているのではなく、人間の話す言葉を聞き取ってそれを記憶し同じように発声するという能力が高かったのです。多くの鳥類は他の鳥の声を真似する習性があるようですが、インコは九官鳥などと同じく人間の言葉に近い音を発声することができるので、人間の言葉まで真似ることができます。しかしオウム返しという言葉があるとおり、それらは聞こえた通りにまねをしているだけなのであり、その意味まで理解している訳でないです。しかし、私は必ずしもそうではなく、単語レベルで理解をしている場合もあると考えています。あるセキセイインコはキュウリがめっぽう好きで、生のキュウリを輪切りにしたものには目がありませんでした。そこでキュウリがある時は輪切りにして「キュウリだよ。」などと言いながら洗濯ばさみでかごの内側に向けて固定したのですが、これを繰り返しているうちに「キュウリ」という単語を覚えました。「ひとりごと」の項に書いたような感じで、この個体の場合は何かぶつぶつとつぶやいている時には、その中に「キュウリ」が混ざっていました。これだけなら、この「キュウリ」は単にひとりごとに取り入れた好きな言葉だということしか言えないのですが、それに加え、人間の会話の意味を一部理解するキーワードにもなっているに違いないと思えることがありました。ある日、人間同士が「坂の下の八百屋さんでキュウリの値段が安くて…」などと話をしていたところ、そのセキセイインコは即座に振り返り、人間のいる方向に向かってかごの内側にぴょんとしがみつきました。はたして「キュウリ」という単語の意味を正確に知っていたのかまでは分かりませんが、単に自分の名前のようなものとの認識ではなく、少なくとも何かわくわくするような気持で、たぶん食べ物を意味するものとして理解していたのです。
飼い主とジェスチャーでもコミュニケーションをとる?

人間に育てられた飼い鳥は、いろいろな状況で人間に喋ります。それは何かの要求であったり、飼い主が帰宅してきたことに対する歓迎のあいさつであったり、あるいは何かに対する抗議や、体調の悪い人間への心配の表現であることもあります。セキセイインコの場合、小鳥の中でも多彩な鳴き声を発することができるのにかかわらず、飼い主に対してはその表現方法は喋り声によるものだけではなく全身のジェスチャーで表現するものが多いです。声は鳥同士のものという考えでもあるのでしょうか。ある時、セキセイインコのかごの前で人間が何かを食べていました。それは通常の食事ではなく間食でした。するとセキセイインコはこちらに向かってかごの内側にぴょんとしがみつき、1秒ほどしたら今度はエサ箱の前へ移動して横目でこちらを見ながら頭を上下に動かし食べるジェスチャーをするということを数回繰り返しました。これは、しがみつくことにより(人間の注意を引いて)「それ!」、そしてエサ箱の前で頭を上下することで「食べる!」という、ある種の目的語を持つ文法とも言える形をもって意思を示したと言えます。人間に言いたいことはジェスチャーで伝えることができるとセキセイインコ側は思っているということに、この時に気付きました。
まとめ

小鳥と暮らしていると、彼らとコミュニケーションをするのは難しいことではなく、実は必要な意思疎通はほとんどできているのだということに気づきます。このことは、元々言語というものを持たない小鳥の側からすれば最初から自然なことであり、すなわち、言いたいことというのは単純なことばかりなのであって、意思が通じないという懸念さえないかのようにごく自然に語りかけてくるのです。猫や犬は人間と同じ哺乳類であり、意思の疎通ができるものとして広く知られていますが、鳥類については、たとえば声を楽しむために飼うものであって、コミュニケーションができるとは思っていないといったことがしばしば見受けられます。確かに、鳥類は哺乳類とは別の方向に進化したものであって、遠い存在であると思われているのかもしれません。しかし、実際に生活を共にすると、小鳥が興味を持つことや価値観といったものは人間からさほど遠いものではなく、哺乳類と共通する喜怒哀楽を感じるのだということが分かります。そればかりか、無条件な愛情や、つらいことがあってもくよくよせずに歌を歌う心の持ち方など、人間が小鳥から教わることも多くあります。そもそも、哺乳類が鳥類よりも優れているという思い込みがありがちですが、それは間違いです。哺乳類と鳥類は異なる機能の身体を持つものとして別々の進化をしたものであり、鳥類からすれば人間には劣っていることもいくつかあります。まず、人間は飛ぶことができません。これは鳥から見ると気の毒に思っているのかもしれません。また、人間の肺は空気の入口と出口が共通なので入れ替えが非効率です。そして、鳥類は体の左右半分ずつが交代で眠ることができますが、人間にはその機能がないので、眠っている間は何もできなくなってしまいます。以上、セキセイインコの鳴き声の意味や気持ちについて考えてきました。彼らは人間の伴侶として意思疎通できる存在であり、その気持ちを理解することで豊かな心をはぐくむことができると言えるでしょう。