「『丑年生まれ』ほど、幸運な人生は、ない」と、私の知っている人は、みなさん強調します。他の干支の方々で、自分の生まれ年LOVEを切々と語る方は、あまりいらっしゃらないので、つい「そうなのか」と説得されそうになります~。いやいや、すべての生まれ年がhappyで運気がいいと思いますし、そうだと信じています。これから、牛の神聖さや、学業、金運、諺や慣用句などについても調べていきます。
新しいことを始めて運気が上がる丑年

丑年生まれさん待望の、暦的には「辛丑」と書いて、「かのとうし」と呼ばれる年があります。最初に補足しておきますが、暦は、簡単には十二支で見ますが、ここに十干と呼ばれるものをプラスして、60通りの本当の干支が完成します。60歳で還暦のお祝いをするのは、この60通りが1回全部回り切った状態で、また0=赤ちゃん=原点に戻るからです。これは、中国古来の「引用五行思想」が大元になっています。その奥に「陰陽思想」「五行思想」「三才思想」という三位一体の土台が存在します。特に「三才思想」は、天の気と地の運気が交わり、人の運気を生じさせるという思想です。三才とは、天・地・人を意味します。天は、太陽であり父親(男性)の象徴で、天干=十干(天とten=10をかけた古代中国人のこじつけすごい)です。地は、大地であり母親(女性)の象徴で、地支=十二支です。そして、人は、人間の象徴であり、九星です。この三つを柔軟に組み合わせることで天地自然の摂理を読み解いて人は生きてきました。また、だいたい歴史の出来事など流れを見てみると、意外と当たっていることも多いのです。では、「辛丑」とは、どんな年なのでしょう。「辛」は、もともとは、新(あたらしの意)と同語で、草木が枯れ果てて、新しく芽吹くための準備をしている状態をさします。「丑」は、動物の牛の意味ではなく、紐(ひも・からむの意)で、萌え始めた芽が種の中でまだ十分に伸びてはいない状態で、春を待つさまをさしています。旧暦の12月という意味もありますから、今のカレンダーでいうと、1月末から2月半ば。ちょうど立春(2月4日)の頃を言います。この頃には、早咲きの梅が、百花の先駆けをなして咲いたりします。他の花たちは咲く準備をします。種がそれを包む殻から出るには痛みを伴います。しかし、痛みを伴っても新しく咲こうとすることは、今までの状態を脱ぎ捨てて新しいことが起こり、運気が上がる前触れと称しても過言ではありません。歴史上の出来事を見てみると、結果はどうあれ、いろんな新しいことが、一つの痛みや犠牲を伴いながら始まっているのです。「丑年」さんたちが、新しいことを始める象徴になっているという意味では、良い年に生まれて運気が上がるのも真実味を帯びてくるというものです。
牛は神聖な動物で置物は学業運によい
人間にとっての役に立つ動物としては、馬と双璧であると言えます(馬は、暦上は、なんと午と書くのです。ちょっとややこしいですが、それだけ愛されている動物なのです)。馬は、遠くまで行くときに素早く人を運んでくれたりもしますが、基本、牛乳は飲むけど、馬乳はごく一部のマニアにしか飲まれません。牛は、素早くは走れないけど、荷物も運ぶし、畑を耕す労力にもなるし、牛糞は肥料になるし、なにより牛乳で人間に栄養を与えてくれます。「だって、牛肉うまいもん」…元々、牛は、神様のおつかいとしてのポジションだったので、食べられるようになったのは、ここ数百年ってとこなのです。神様食べるわけにいきませんものね。どれだけ神様に近いかというと、神社には「阿吽の狛犬さん」の置物がだいたいありますでしょう?。でも、地方によっては「狛丑さん」の置物だったりもするのです。

菅原道真の太宰府天満宮を始めとして、天満宮(天神様)=学問の神様系に多く見られます(筆者の地域は、天満宮以外でも狛丑さんの置物だらけなので、大人になって旅をするようになって、狛犬に違和感を持ちました)。だから、とても神聖な物なのです。「四つ足の動物は食べない」と言う地域もありますが、この場合の四つ足は、豚でなく、主に牛を指していることが多いです。この感覚は、欧米の人たちが、鯨は賢い哺乳類だから捕鯨禁止と主張することに共通しているかと思います。そういう意味で、丑年生まれの人は、生まれながらにして学問や知恵を持っている人物ということができるかと思います。また、牛の置物は学業運を上げてくれます。
ウナギを食べなければ金運アップ

天神様の他に、牛は、虚空蔵損の守り神とも言われています。その仲間に、鰻がいるんですね。だから、丑年生まれの人は鰻を食べてはいけないという習慣がある地方があります。これの具体的例は、筆者の家庭の出来事で大変申し訳ないのですが…。うちには、2人の丑年生まれがいました。「丑年が、鰻を食べると、身上(家庭経済の意味)が潰れる」とのお告げがあり、土用の丑の日には、鰻ではなくハモ(穴子でも可)を食べていました。ある時、それを知らない親戚からお中元に鰻が届いて、食べました。この世にこんなおいしいものがあるなんてと食べました。翌年、家業が倒産しました…たった2000円くらいで、バブル前に2億8000万円の借金か~。つまり、鰻をあえて食べないことで、丑年の人の金運はずっと上昇機運にいるってことです。丑年生まれのみなさん、鰻を食べられないのは残念ですが、金運が良ければいいで試してみてください。「食べてすぐ横になると牛になるよ」と言われたことはありませんか。牛は、胃袋が4つあります。正確には4つ目にある胃が本当の胃なのですが、簡単に言うと、消化酵素が出る3ヶ所を通ってやっと本当の胃で昇華されるシステムという感じですかね。牛は基本草食です(肉食っている牛なんか見たことないですよね)。臼歯で、臼のように草を噛むのですが、ペース配分によって、噛む量と飲み込む量に矛盾が生じます。なので、一回第一の胃に送って消化酵素で柔らかくして、また口に戻して摺り下ろして、また飲んで柔らかくして、また戻してという反芻を繰り返します。人間は、犬歯もあるし臼歯もあります。料理して硬さの調節もできます。けれど、すごく速いペースで食べた時に、胃が満杯になって消化しきれずにリバースしてしまうことありますよね。それが昔は、また口に戻ってくることを牛みたいだという例えになったのです。眠いからさっさとよく噛まないで飲み込んで、寝てしまう。噛まれていないから消化しきれずリバース、気持ち悪くなるという意味です。よく噛んでじっくり時間をかけて食べた後は、実は横になると非常に胃も活動しやすくなるので、今の時代は逆に、食べたら休養を兼ねて横になる方が推奨されています。牛だって、反芻する時間くらいもらわないと、働きずめで疲れてしまいますからね。いい感じに身体の部位も出来ているのだと思われます~この4つの胃袋の名称については、焼肉屋さんでご確認ください。牛になってもいいから、食べたら、横になってください。そして、胃と身体に休息を与えてみてください~牛には、ならないから、なった人みたことないし。
仕事はほどほどに

農耕民族の友として、人間と一緒になって働いてきて、かつ人間のように愚痴は言わない牛は、辛抱強い生き物だとも言えます。つまり丑年生まれの人は、我慢強い人が多いです。簡単にSOSを出さない。ただ、困るのはSOSを出した途端に倒れてしまうので、引継ぎが出来ないことですね。余裕をもって、SOSを出すことを心がけていただきたいところです。仕事の話になりますが、自分しかできないことだと、丑年生まれの人は強く思う傾向があります。しかし、残念なことに、誰かが急に仕事ができなくなっても、世の中は回っています。仕事の代わりは、優劣はありますが、いくらでもいるんです。でも、自分の人生の代わりは、誰もなれないし、いるはずがないので、まず自分の人生が在って、仕事はほどほどにして、人生の次ぐらいに置いておく生き方がベストではないでしょうか。
ことわざや慣用句は?

では、ことわざや慣用句から見た牛のスタンスをご紹介しますね。いい意味で使われる場合を先出しします。
・九牛の一毛

非常に多い中の極めて少ないもの。つまり、丑年生まれには、隠れた天才が多いと言う意味です。この人すごいなって人に干支を聞くと、丑だったりします。
・鶏口となるも牛後となるなかれ
大集団の下っ端になるよりも、小集団のリーダーになった方がいい、と、一般的にはとらえられていますが、実は少し違います。例えば、4月1日生まれの人に関しては、産科で、4月2日生まれに出生届を変更してくれることがあります。学齢は、4月2日生まれから翌年の4月1日生まれまでを1学年とするからです。確かに、前年の4月2日に生まれた人より、身体は小さかったりします。幼稚園にもう一年多く行くことで知恵もつくかもしれません。でも、1年早く世の中に出る。小さいからこそ、みんなに大事にされるし、いろんなことが許される。リーダーになるのは、大人になってからでも十分です。そういう意味で、牛後になって熟成させ、鶏口ならず、牛口になればいいだけの話しです。
・商いは牛の涎のごとく
牛って、涎(よだれ)をけっこう流しますよね。胃が盤石ではないので、口の中に最初の消化酵素である唾液を貯めているからです。商売は、この牛の涎のように、細く長く切れ間なく、気長に辛抱して続けるとことの意味。確かに、丑年の商売人は、辛抱強く、成功する人が多いです。
・牛に引かれて善光寺参り
人に誘われて出かける。自分の知らなかった場所に行けて、そこでラッキーなことに出会える例え。誘った人が、牛=神様であり、導きと言うものはあります。もちろん、誘う人の人柄を精査しなければなりません。しかし、丑年生まれは人の本性を見抜く力を持っています。
・牛の角を蜂が刺す

なににも動じないこと。効果がないとも言えますが、そうじゃないのです。丑年生まれは、相当なことがあっても動じない人が多い。実は心の中でパニクってたりするらしいんですが、微塵も感じさせないのが丑年生まれ。
・牛を食らうの気
幼いころから大きな目標を持っている気性を言います。神様の使いである牛を食べようって思うことがすでにただ者ではない雰囲気ですね。
もちろん、ことわざや慣用句から垣間見える、丑年生まれのマイナス要因もあります。
・牛に対して琴を弾ず
これは、馬の耳に念仏ということですね。丑年生まれは頑固ですから、人の意見なんか、聞いちゃいません。で、失敗した時に「なんで教えてくれなかったの」と文句言います。
・女賢しゅうして牛売り損なう
これは男社会の見本みたいなことわざですね。女性が利口ぶって出しゃばると、目先の利にとらわれて大局を見通せず、失敗する。それは、男でも同じですけどね。確かに確かに、女は一言多い。特に、丑年の女性は時系列に話して、結論を後回しにするところがあるので面倒くさいです。時に、かまってちゃんですね。バーゲン大好きで、いつか使う!って 買ってきて、家の中が実は片付かない原因を作っています。そういう人に限って、自称綺麗好きだったりするので、困ります。
・牛耳を取る
政権を陰で牛耳っているとか、よく聞きますよね。ラスボスが、丑年生まれということは、意外と多いです。中国の春秋戦国時代、諸侯が同盟を結ぶときに、中心になる人物が牛の耳で約束を誓い合ったことが、牛耳なのです。ラスボス感半端ないです。まさに、そちも悪よのう、うわっはっつは、ですね。
・牝牛に頭突かれる
相手を軽く見ていて、不意打ちにひどい目に合うこと。雄牛に比べて、実は牝牛はおだやかなのですが、腹が立てば突然腹を突いたりもします。丑年の人は、頑張り屋さんですがそれを隠して、のんびりやさんに見えることもあります。でも、闘牛っていうものもあるってことから、怒らせたら怖いのです。覚悟しましょう。丑年生まれは、ガラス細工のような繊細な心の持ち主です。ニコニコ笑っていても、心の中は怒りで煮えたっている場合もよくあります。
なぜ子年(ねずみ年)の次なのか?

干支、十二支の順番決定の成り立ちを話すときに、「本当はね、牛が、十二支の一番先になるはずだったの。でも、心優しい牛は、鼻先にネズミを乗せてあげたの。ネズミの一歩と牛の一歩は大きく違うし、他の動物の顔ぶれを見ても、ネズミがビリになるのがかわいそうだったから。さてゴール。ずるがしこいネズミは、牛の鼻先から降りて、ズルで一等になったの。だから、ネズミ年の人とは合わないわ~信じちゃだめよ、ネズミ年なんか」頑固なのか、執念深いのかわかりませんよね。十二支に、日本の十二支の顔ぶれが入っていない国もありますが、だいたいの国で、牛とネズミは入っていて、世界中の丑年生まれが語り継いでいる逸話なのですから~。
まとめ
牛が神聖な動物で、金運や学業に良いことなどを説明してきました。仕事はほどほどにしたほうが良かったですね。色々な諺や慣用句がありました。また、意外にチキンハートの丑年生まれさんたちには、優しく接したいものです。最後に。丑年は、痛みは伴うけど、変革の年になりそうです。